食道癌手術は消化器外科領域でもっとも大がかりな手術のひとつです。手術時間も8~10時間ほどかかります。その理由は、ひとつは食道が胸の奥深いところ(食道は背中側にあり、背骨のすぐ前に位置しています)にあり周囲を心臓、肺、大血管(大動脈、大静脈、肺動静脈など)、気管、神経など人間が生きていく上で非常に重要な臓器に囲まれているためです。これらを傷つけないように食道を切除しなければならないため、とても繊細な操作が必要になります。
ふたつ目の理由は食道を切除するのと一緒に、食道のまわりのリンパ節も一緒に切除(これをリンパ節郭清と呼びます)する必要があることです。食道癌は高率にリンパ節転移を来しやすい疾患です。そのため転移が起こりやすいリンパ節を切除することは癌の根治を目指すために非常に大切になってきます。リンパ節郭清を行うときも、食道を切除する時と同様に周りの大切な臓器や神経を傷つけないようにしなければなりません。
三つ目の理由は、食道はもともと喉と胃をつないでいた臓器なので食道を切除したあとはその経路を他の臓器を用いて作り直す必要があることです。これを再建と言います。再建には、胃・小腸・大腸などが使われます。再建に使う腸はもともとお腹の中にある臓器なので、再建のためには喉の近くまで持ち上げてつながないといけません。また状況に応じて胃・小腸・大腸と3種類の腸管を使い分けたり、組み合わせたりして再建を行う必要があります。
以上のように食道癌の手術は①食道切除、②リンパ節郭清、③再建の大きく三つから成り立っているため大がかりになっているわけです。
食道癌に対する食道切除術 ~当科における術式・治療法の変遷~
食道を切除するために、1990年代始めまでは開胸手術といって右側の胸を半周ほど開けて(肩甲骨の後ろから乳首まで)手術を行っていました。傷が大きいため痛みが強く、術後の肺活量の減少などもあり身体に与える影響は決して小さくありませんでした。そこで当科では1995年に我が国で初めて胸腔鏡という内視鏡を用い胸に数箇所の穴を開けるだけで食道切除(胸腔鏡下食道切除術)を行うことに成功しました。その後実績を重ね、1999年からは胸腔鏡下食道切除術を当科の標準術式とし現在まで450例以上の手術を行ってきました。当科での胸部食道癌に対する鏡視下率は2012年度においては97.6%で、ほとんどの食道癌の手術を鏡視下で行っています。
胸腔鏡下食道切除の特徴・利点
内視鏡下で行う手術のことを鏡視下手術と言います。反対に胸や腹を開けて行う開胸(または開腹)手術は実際に目で見て手術を行うので直視下手術と呼ばれます。鏡視下手術はカメラで見た狭い範囲の映像で手術を行う、実際に手で病変や内臓を触って確かめることが出来ない、手術がやりにくく時間もかかる、鏡視下手術特有の機器が必要でコストが高い、など直視下手術に比べてデメリットも多くあります。では鏡視下手術がこれだけ普及したのは何故なのでしょう? 鏡視下手術のメリットを以下に挙げてみます。傷が小さいため整容性が高い、痛みが少ない、身体への負担が少ない、それに伴い術後の回復が早い、入院期間が短い、退院後の社会復帰が早いなどのメリットがあります。しかし鏡視下手術のメリットは傷が小さく身体へ優しいということだけではありません。鏡視下手術では肉眼では見ることが出来ない小さな構造物にも近づいて拡大して見ることができるため、直視下手術より繊細かつ緻密な手術ができます。それにより出血量の減少、リンパ節廓清の精度向上などの利点も明らかになってきました。
一方で鏡視下手術は万能な手術ではありません。直視下手術でしかできない手術もありますし、鏡視下手術中に何か問題が起こった時には直視下手術に切り替えなくてはいけないこともあります。鏡視下手術は優れた手術法のひとつではありますが、手術は安全性や確実性を犠牲にしてはならないと考えています。したがって鏡視下手術の適応や限界をよく踏まえて、患者さんとそのご家族に鏡視下手術のメリット・デメリットなどをよく説明し手術方針を決定しています。
胸腔鏡下食道切除術(左側臥位から腹臥位手術へ)
従来、左側臥位(左を下にした横向きの体位)で食道手術を行ってきました。これは開胸手術をそのまま胸腔鏡下に行うことをコンセプトに開始したことによります。この体位で症例を積み重ねて工夫をしてきましたが、2012年から胸腔鏡下食道切除は原則としてうつ伏せ(腹臥位)の姿勢で行っています
(写真8)。まず肋骨の間から5mm~10mm程度の太さの筒(外筒もしくはトロッカーと呼ばれ、手術をするための器具が通る鞘の役割をします)を胸腔内に入れます。トロッカーは基本的に4つ使いますが、体型や病変の大きさなどにより追加する必要があります。そして1カ所の筒から術者の目の代わりとなる太さ約10mmのカメラを入れ、このカメラが映し出す画像をテレビモニターで見ながら手術を進めていきます。外科医は手を入れることができないのでつまんだり、切ったり、剥がしたりする操作を行うために鉗子や凝固切開装置などの器械を使います
(写真9)。
腹臥位で食道を切除すると聞くと驚かれるかもしれませんが、食道は胸の中で背中側に位置しています。腹臥位にすることにより食道を切除するときに避けなければならない肺や心臓などが重力によってお腹側(術者から見ると下側)に自然によけてくれます。それにより広く安定した術野を常に得ることができます。腹臥位胸腔鏡下食道切除はこれまで行った40例の結果を見ると側臥位と比べて出血量の減少、術後の炎症反応の低減、術後肺炎の低減などの優れた点があることが分かってきました。術野が安定していることから教育・普及の容易性などからも腹臥位胸腔鏡下食道切除が食道切除の主流になっていくものと考えています。
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写真8 腹臥位胸腔鏡下食道切除の体位
うつ伏せの状態で、右側の第3,5,7,9肋間(肋骨の間)の4カ所からトロッカーを入れて手術を行います。術者は写真の手前側に立って手術を行います。
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写真9 内視鏡手術に使われる器械
①ハサミとして使う器械
②止血と切開を同時に行う超音波凝固切開装置
③繊細にものを持つことができる鉗子
④臓器を持つための鉗子
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腹臥位(うつ伏せ)の体位で手術を行うことで出血量が平均で約5分の1にまで減らすことが出来ました。
以前は食道の手術は大手術で輸血が必要になることが多かったのですが、現在は大きめの注射器1本に満たない程度の出血しかしなくなりました。
また術後の炎症反応もいままでの手術よりさらに抑えることができるようになりました。炎症反応が少ないという事は、それだけ手術に伴う身体への負担が少ないという事であり、早期退院や早期社会復帰につながるものと考えています。
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術前放射線化学療法
JCOG9907という臨床試験で食道癌に対して食道切除前に抗がん剤治療を行うと手術しか行わない群と比べると治療成績が向上することが明らかにされ、術前抗がん剤治療が我が国の食道癌治療の標準治療になりました。一方で病期が進んだ症例にはこの術前抗癌剤治療の予後改善の上乗せ効果が小さく、新しい治療法が期待されるところであります。
当科では抗癌剤に放射線を組み合わせた放射線化学療法を行っています。術前放射線化学療法の方が術前化学療法に比べて癌の縮小効果が大きく、その効果が期待されます。しかし癌が小さくなったから=予後が良くなるということではないので今後の症例の積み重ねと、結果の解析が待たれます。
当科における食道癌患者の食道切除の概略
ここでは当科でStageII,III食道癌の手術を受ける場合の標準的な治療スケジュールを示します。当科では治療効果を高めるために手術前に放射線化学療法を施行しています。これを術前放射線化学療法(Neoadjuvant
chemo-radiotherapy; NACRT)と呼んでいます。NACRTの期間は3週間で、はじめの2週間は抗癌剤治療と放射線治療を併せて行い、3週目は放射線治療のみを行います。そして治療が終わって4週目に治療の効き具合を胃カメラ、CT検査などで評価します。治療の副作用がなく、十分な量の食事が摂れていれば一度退院となります。手術はNACRTの副作用がないことを採血などで確認した上でNACRT終了から約1ヶ月後に行います。手術までの期間が早すぎると放射線と抗癌剤の身体への影響が残っていて手術のリスクが高くなり、一方で間を置きすぎると癌が大きくなってしまうので1ヶ月が妥当な期間となっています。
手術は内視鏡下で行う胸腔鏡下食道切除術を行います。手術は10時間くらいかかります。術後しばらくは呼吸・循環が不安定になることが多いので集中治療室に入室し全身の状態を詳しくモニターします。経過が良好で全身状態が安定しているのを確認したら、術後3日目くらいで一般病棟に戻ります。そして手術から1週間目に透視検査を行って、腸管をつないだところが問題ないことを確認してから食事を開始します。その後ご飯の食べ方などの説明を受けて(栄養指導)いただいてから、手術から2週間目頃に退院許可となります。